【自己責任のワナ】自己責任の裏には自由がある。しかし自由の裏には◯◯がある。
自己責任が永遠に取れない仕組みが見つかった
こんにちは。今回もチームで話しながら、「これだ!」ということがあったので、共有しますね。
何かというと「自己責任のワナ」です。
みなさん、相手に対しても自分に対しても「自己責任」という、言葉を使ったことはありますよね?
- それは自己責任でやってくれ。
- そんな事言われても自己責任でしょ。
- 自己責任なので仕方ないです。
などなど。
では、責任とは何でしょう?
責任の大前提として、自由があげられます。
何からも強制がされておらず、選択の自由があるから、行動や言動に、責任を持つことができるわけですね。
しかし、逆にいえばこの自由は、不自由があるからこそ、選択の自由があるといっています。
なので実は、大前提が不自由を抱えながら、自由を訴えているので、自己責任が無限に取れないという、根本的な構造上の限界があります。

つまり、本当の自由が分からなければ、本当の責任の使い方が、分からないのです。
「不自由の裏にある自由」ではない、本当の自由とは一体何でしょう?
それが明確に分かった上で、責任を捉え直してみると、実はあなたが、認識した瞬間から責任が始まってます。
感じたこと、思ったこと、あなたが生きること、死ぬこと。すべて大自由だからこそ、すべて自己責任なのです。
あなたが他人を否定すること、あなたが自分を否定すること、全部その選択は、自由であり自己責任ですよ。
責任をとることに、ワクワクが始まれば本物です。
正しく絶望すれば、正しく希望がみえますよ。
ひとつひとつの限界・絶望を、深めて正しく理解しましょう。
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