「もう私はこれだけやった」と思っているあなたに伝えたい1つのこと
目次
これ以上、私に何を要求する気なのか
クライアントのために、これでもかという位、全力で取り組み、尽くしているあなた。それでも、クライアントだけでなく、上司からも「もうちょっとこの部分をこうして欲しいな〜」なんて言われたら、どんな気持ちになりそうでしょうか?
もう自分は、これだけやりました。これ以上何を要求する気なんでしょうか。もう本当にやめてください。もう自分は無理です。
そんな心の悲鳴が聞こえてきそうです。しかしあなたは、どうしてこんなにも疲れてしまうのでしょうか?そして、他の人達が、全く全力で取り組んでいないように見えるのは、どうしてなんでしょう?
あなたは、何をやったのか?
「もう尽くしました。これだけやりました」と言っても、事実を言えば、尽くす手など他にもたくさんあり、例えば、世界中のスーパーコンピューターが尽くす手立てを、全てやったのか?と言われると、間違いなくそれはないでしょう。
つまり、あらゆる手立てを尽くしたわけではありません。しかしあなたは、「そういうことを言いたいわけじゃない」と、反発をしたくなるんですよね。
では、あなたは何を言いたいのでしょうか?
しかし、あなたはそう言われると「もう考えたくもない。もう私は疲れたんだ。どうせ、お前が映したい私像を映し出そうとするんだろう。自分なんて、そこにはいないんだ」と、関係構築をすることを心から諦めています。
でもそれでは、何も変わりませんので、ここは再度、質問をしますよ。
さて、あなたは何を精一杯、やったんでしょうか?あなたの尽くしたことは、一体何だったんでしょうか?
恐怖が故に生まれた、マイナス感情の決断
あなたが尽くしたことは、「相手の指示に黙って受け入れる事」をやってきたんです。しかし、何を言ったとしても、相手はあなたの意見を無視して、指示を出してきますから、再び「相手の指示に黙って受け入れる」事をせざるを得ません。
結局、何を言ったとしても無駄だし、自分の事なんて全く見ていない。私はそこにいないんだ・・という絶望と諦めが、ずっとずっとついて回ります。
また、何か意見を言ったら怒られる恐怖もあり、諦めと憤怒の元に「黙るしかないんだろ」と、マイナス感情の決断をまた深めていくというワケですね。
結局このループの状態では、ずっと「相手の指示に黙って受け入れること」しか出来ませんし、何か意見を言えば、遮られたようなイメージを持ち、再び絶望と諦めを蓄積するというループの状態です。
じゃあ、どうすれば良かったのか?そんな風に考えた時に、ひらめくアイディアがあるんです。
自分という身体意識から離れること
結局、この身体も精神も自身の意識が作り出しているものなので、そこから自由になればいいんだ!という結論に入っていきます。
この世界が自作自演だからこそ、そうじゃない所に意識を飛ばせば良いんだ、という発想です。いわゆる精神世界系の話になっていきますね。
そうすると、どうでしょうか?自身の身体意識を飛ばせることは出来たかもしれません。幽体離脱の経験もあるかもしれませんが、そんな神秘体験的な事をしたところで、その事を相手に共有しても、同じようにそれが出来るのでしょうか?
まったくそれは出来ない話ですよね。共有が出来ないから、日常に戻ればまたいつも通り、「相手の指示に黙って受け入れる事」しかできないコミュニケーションが待っているんです。
人間関係を再構築することは、本当に難しいですよね。
結論:結局、諦めから抜けられていない
とどのつまり、結局のところは、そんな風に神秘体験が出来たからと言っても、日常は変わりません。人間関係に対する諦めから抜けられておらず、自身の意見を言えば言うほど、「やっぱり私は相手の中にいないんだ」という絶望と、相手が無関心な姿勢態度でいることにすら気付かないことへ、諦めの蓄積と憤怒が出てきます。
ズレた考えや自分勝手な感情ではなく、深いイメージを共有したいし、あなたなりには、懸命にそのコミュニケーションをしようとされているのでしょう。
しかし、それをやろうとする人もいなければ、逆にそのコミュニケーションを馬鹿にする人が多数です。
そういった意味でも、「もうこれだけやってきました」と表現する気持ちも分かります。そんな人達を観た時に、諦めたくなる気持ちもわかりますが、結局諦めたら、そこで試合終了です。
「感覚」の共有が出来ない故の痛み
こうしたイメージや感覚のセンスを磨いていくためには、日常からのトレーニングが必要です。しかしあなたは、恐らくそれを、何らかのキッカケで、幼い頃から培ってしまったのだろうと、良くも悪くも思います。
ちょっと相手の立場に立ってみて欲しいのですが、別に相手は、あなたの事に対して、本当に無関心になりたいからなっているわけでもなく、従って欲しいから指示を出しているワケではありません。
ただ分からないだけですし、深いところでは本当に愛に溢れています。
あなたは、そのパートに対して、絶対性を持ち過ぎな傾向があります。だから、そうした無関心だったり配慮のない人を観ると、「絶対に無関心に私を見ているんだ。黙るしかないじゃん」という絶対性の固定の元に、憤怒や諦めの蓄積が0コンマ1秒よりも早く心の蓄積が起きるのです。
だから、あなたはビカビカに磨かれた鏡のような、客観的になれる特性を持っていますが、その絶対性があるがゆえに、移動が出来ず相手の立場に立って話を聞くことが出来ません。
それは、あなたの中に深い傷や闇がありますし、本当はイメージの共有をした方が、仲良くなれるけれども、考えや感情レベルの浅いコミュニケーションが許せなくて堪らないのです。
だから、そこにアクセスすることに、固まってしまうのだと思います。
自らを癒やしながら、相手の変化を待つ楽しさを
それが悪いと言っているわけではありません。相手に合わせようとする必要はありませんが、そもそもそこに憤怒と諦めを常に使ってしまう所は、疲れませんでしょうか?
その自分自身を「私は素晴らしい」「私はこんな観点を持っていて最高だ」と存在している自らを癒やしてあげてください。
そして、相手が観えるのは、相手は観えません。そこに一喜一憂していたらキリがないので、「あぁ、半分先を私が歩いちゃっているのか〜」程度にして、自分の進むべき道を楽しく観ている方が、人生は楽しめると思いますよ。
相手の変化を余裕で待てるような楽しみを、別で持ちながら、これからもお仕事がんばってくださいね。
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