相手の期待に応えちゃうけど、実は◯◯してませんか?
いや、正直申し訳なくて、利己的だと思うんですけど、チームに貢献するというよりは、サッカーゲームの中で、一人だけドリブルしちゃっているような感じなんですよね〜。正直それが楽しいっていうか・・
これって、いいんですかね?
こんな話をしてくれた方は、愛想もよくて、仕事もできる26歳。
身近な仲間にしか、そんなワガママな自分は出していないんだと言っていました。
ご相談が終わってから、「これって、多くの人に当てはまる事だな〜かくいう自分もそうだったよな」と思い、ここで皆さんに共有しているわけです。
「あ、これ私かも・・」なんて思ったあなたは、ぜひ以下をごらんください。
目次
ぶっちゃけ、自分は誠意を持って人と接していないな〜と思うあなたへ。
多くの人には「君は本当に気がきくよね」とか「繊細に人の事をみているよね〜」という風に、やっているんだけれども、申し訳ないけれども、実はそんな事は上手にやっているだけに過ぎない。
ぶっちゃけ、自分の事をやりたいがために、人に合わせて合わせて、自分の時間を上手に作って、それでようやく自分の時間が楽しめるようになったら、やっと深呼吸。いや〜疲れた。。そんな風に、人との関係性を作っているあなたへ。
実は無意識に、人を騙していませんか?
何を隠そう、僕がそうでした。本当は相手と誠心誠意向き合いたいんだけど、正直なところは面倒臭い。だけど、断れないもんだから、上手に合わせて、その時は「また今度飲みましょう!」とか言うけれども、実はそうじゃない。
飲みに誘われたメッセージを、やんわりと断っていました。自分の心の声は、「だって、自分の話ができないんだもん。面倒臭い」って感じ。建前と本音というのは、日本人の特徴でもありますが、これって、危ないもんです。
だって、ある人から見れば「また飲みましょう」という言葉は、本音に捉えられるわけですからね。本音のところは、自分の事を優先していたいわけですよ。
何処かでバレてしまっていますよ。
「誰かの期待に応えていないと、いられない。だけど、自分のスペースだって保ちたいんだ」そうやって思うのは、よくある事だと思いますが、これに共感しているあなたは、それが「極端」です。
期待に応えられなかったら、あなた自身はどうなってしまうイメージがあるのでしょうか?この場所にはいられない?死んじゃう?でも、そんな事言いながら、自分の好きな事もやっているよね。
ぶっちゃけ、見えている人には「違和感」という形でバレてしまっているのです。あぁ、この人は自分のやりたい事を優先にやりたい人なのね。という風にね。
でも、誰だって本当は自分自身の存在を保ちたいし、自分の正しさを主張したいもの。でも、あなたが大変なのは、「自分は我慢してやっているんだ!」という風にエネルギーを消費してしまっている事なのです。
エネルギーの矛先を変えていく事で、感情がスッキリするよ
これは文章で伝える事が難しい点なのですが、先輩や上司から、仕事を振られてた時、声をかけられた時、どんな時でもあなたの「人に合わせないといけない・期待に応えないといけない」という判断基準が働いています。
つまり、「自分は期待に応えないと、この場所にいてはいけない人」という風に思うわけです。そうやって生きていると、どうしても「うっ」と力を入れて、人に対しても接しているのではないでしょうか?
この「うっ」と力を入れている瞬間が、エネルギーが滞っている時、つまり感情に蓋が入っている時なんですよね。
それで、結果が出たり、その人の期待に応えるような成果を得られれば◯、そうじゃなかったら×・・という風に、日々を過ごしていませんか?
それも、あなたが作り出している感情があるわけですよね。そして、いつの間にか疲れてしまっているのです。
スッキリした生き方をしていけば、毎日が楽しくなる。
先述のBくんも、この事に気付いて、また自分で整理を始めています。あなたにとっても、この文章が参考になれたら嬉しいです。
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