3.11 黙祷。
3.11を越え。ハートトラベラーとして。
3.11から4年が経過しました。
多くの問題提起。議論。感動話。様々なことがありました。
僕はあの日、私立高校で働いておりました。生徒たちを通学バスで直ちに帰らせて教職員も下校した日。
幸いにも、テスト期間であったために、学校に残っていた生徒は少なかったものの、バスが遅くなってしまい大変なパニックであったことを覚えています。
陰謀論。原子力ムラ。既得権益。復興ボランティア。町おこし。表と裏・白や黒をグレーに重ねながら、日々が過ぎていったように感じます。
雑感とはいえ、僕はハートトラベラーですから、何を語ろうかと思うのです。
突飛な考えだとは思いますが、そんな風にも見えるか〜と思ってくだされば幸いです。
食物連鎖のピラミッドを、誰もが小・中学生の理科の授業で見たことがあると思います。
人はサルから進化して、火を使い、大型で凶暴な動物や猛毒の植物を出し抜いて、食物連鎖のトップになったわけです。
なぜ?それができたのか?
それが「言語」からくる「集団知性」です。
群れをなすことができる動物はおります。
しかし、群れをなして共同体を作り、「◎◎をしよう」という行動に、付随したイメージを共有することができたのは、人間だけなのでしょう。
だからこそ言語で明確に「役割」を設置して、あなたはこれ・あなたはあれをやってね。
という1つの行動に対して多角的に誘導することで、動物を捕まえることをしていました。
話を戻します。
3.11で世界中が何よりも感動したのは、日本人の国民性の高さでした。
食糧をいただく時に、縦一列に並んでいる姿は、記憶に新しいかと思います。
僕も、あの姿を見て本当に誇りに思いましたし「ありがとう」と心の底から思いました。
世界は、僕らの「団結」に美しさを感じたのです。そのことを忘れてはならないと思います。
翻って、動物と競争していた時代は終わり、やがて人間同士の争いに変わります。暴力での闘争の時代から、財力の闘争の時代が今です。
企業間競争は当然、個人間にも発生しています。受験戦争・就活塾など。
そして、産業はより需要を喚起させるために、個人化を進め、一家に一台のテレビが各部屋に設置されて、一家に一台の電話が携帯電話になり、ドキドキしながら女の子に電話をするような事もなくなります。
僕があの日に見た世界は「新たなる人のニーズ」でした。
それはただ一つ。
「つながろう」ということ。
divergence(分離)からconvergence(融合)の時代と言われます。
以前は「何か」に対して団結をする二元論的な人間がありました。
しかし、それを求めていない若者が急増しています。
「ありのまま」「生きていることが素晴らしい」「自分らしさ」
そんな言葉にお金を払う時代になりました。
だから僕は、ハートトラベラーとして、心を自由に飛び回り旅を続けるライフスタイルを、実践できるわけです。
時代は、どこに向かうのでしょうか?
3.11の教訓を、私たちは現実の政治・経済という集団の意思決定が行わる場所で、どのように舵を取ればいいのでしょうか?
僕はそれに対して、分離してしまったものを融合するという手段を取り、進みます。
心の時代、シェア・つながりの時代と標榜される中で、スポットライトを浴びるような社会づくりを、個人という体系ではありますが、やっていきたい所存です。
それが、3.11を通して様々な想いをしてこられた方々への「報い」であり「恩返し」だと思い続けて。
ー3.11。祈りを込めて。黙祷。
コメントフォーム