対立が永遠に終わらない理由

多様性という、正しさの暴力
最近では“多様性”という言葉が流行っています。情報が氾濫していて、何が正しいか・正しくないかわからない世の中ですし、グローバル化が進んでいるという面でも、多様性(ダイバーシティ)という概念が浸透しています。
しかし、この多様性という言葉は厄介です。多様性とは一体何でしょうか?カンタンに言えば「みんな違ってみんないい」という事ですが、あなたの思う「みんな違ってみんないい」とイライラしている相手の「みんな違ってみんないい」というイメージは同じだと思いますか?
違いますよね。しかしながら、「みんな違ってみんないいですよね。多様性が大事ですし」とみんなが言います。そんなときの、心の中はどうなっているのでしょうか?
「なんでアイツは、そんな事するのかなぁ?」「全然、俺の言ったとおりに動かないじゃん。モチベーションも低いし・・」そうやって個々の中では多様性を受け入れられていないですよね?
何が多様性じゃい!という話です(゚A゚;)
正義感が“独善的”になってないか?
多様性を標榜しながら「ウチの会社だったら、これがルールなんだから、こうするべきだ!」といったような暗黙の了解がどの組織にも漂っています。
そして、暗黙のルールに上手に従いながら、他の組織を攻撃(契約)し、成果を上げていく人がその組織ではヒーローになっていきます。そうして自分自身の成功パターンがワンパターン化されていくんですよね。
そうなると、どうなるかというと、私のイメージする多様性の活かし方が正義だ。的な話になっていきます。声の大きい人の「多様性」が正義になっていくんですよね。更には、結果も出ていますから、正当性も帯びてきて、絶対正義のようになりますよね。
もうそうなると、独善的になって暴走するんだろうなと思います。ときに暴走したほうが、みんながアツくなって業績は伸びるかもしれないけれど、ドグマが発生してしまいますよね。
結局の所、お互いの独善的な正義感が対立し続けていて、その正しさを越えられないが故に、永遠に対立は終わらないというわけです。
自己内対立を終わらせたいなら
私自身が提案したいことは、やはり自己内対立を終わらせてないから、周囲との対立が終わらないよね、という話です。
相手の違いを受け入れられない理由はなんだと思いますか。
それは、自分の正しさがうまれる理由が分からないからです。正しさがうまれる理由が分からなければ、なぜ自分が相手に対して違うことを主張し、受け入れないことを決断しているのかが分からないんですよね。
自己内対立を終えて、身近な家族・上司・部下との対立を越えたい方、みてみてくださいね!
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